女子力いまむかし(山川登美子記念館)

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小浜が生んだスーパー歌人・山川登美子記念館で催されている「女子力いまむかし」。面白いタイトルだったので訪れました。山川登美子は1879年(明治39年)誕生、1895年 大阪・梅花女学校(現梅花女子大)に入学、卒業後は小浜に帰郷し同学校の研究生となる。1900年 与謝野鉄幹が創刊した雑誌「明星」に歌が掲載され同年鉄幹や翌年に鉄幹と結婚する与謝野晶子に出会い明星の社友となる。1901年 鉄幹を慕っていたが親の勧めた一族の山川駐七郎(外務省勤務)と結婚したが翌年死別。結婚を機に歌壇を離れたが夫に先立たれ、1904年 日本女子大学校英文科で学びながら再び数々の歌を生み出す。その間、鉄幹がおこした新詩社に接近し「白百合」と題して短歌131首を収載。

1905年 晶子らと共著「恋衣」を刊行。1909年 夫から感染した結核が元で生家で死去。29歳の短い人生を閉じました。

屋内(生家)には、遺品や歌稿などが展示されていますが文化財との事で撮影禁止になっています。外観と中庭、庭を撮影出来る程度です。

旅立つ2日前に詠んだ辞世の歌の碑が建てられていました。

父君に召されていなむとこしへの春あたたかき蓬莱のしま。(意味・お父様に呼ばれて私もいきましょう。永遠の春が暖かく続く蓬莱の島という理想郷へ)胸にじ~んときました。お父様は小浜藩の上級藩士で明治期は銀行の頭取だったそうです。

本題の女子力ですが、登美子は幼少期から良家の子女として生け花や琴、習字、短歌、料理を学び学校では優秀な成績を修め今でいう女子力高めの女性でした。

一般的な女子力とは料理や裁縫、教養、身だしなみなマナーなどの能力を指しますが多様化した現代では明確に出来ないですね。同館では「女子力UP」講座として、「お茶席の基本」「生け花の基本」「お箸の持ち方・和食の食べ方」などを行っているようです。う~ん??? 現代の女性の要求とは少し違うような気がしました。

外に出たら水が張られた田に青草が浮かんで美しい光景が映し出されていました(@_@)

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